佐賀錦について
「佐賀錦」は今より約百九十年前(西暦1810年)頃、肥前鹿島の藩主鍋島家後室が
網代天井を見て織物にする事を発案し、家臣に依嘱製織せられたもので、当時は組
錦又は御組物と呼称され、鹿島鍋島家大奥の手芸として盛んに行われました。
明治初期に一時中絶されましたが、其後高貴の方々により、再興せられ、更に改良、
進歩され従来の織物の他に遂に花鳥・風景等画趣豊かな優秀精巧なる織出模様が
案出されました。其頃より「佐賀錦」と改称され、今日まで継承されて居ります。
「佐賀錦」は、金・銀・漆の特製の箔紙に切目を入れ経紙として、緯に絹糸を通して
織上げます。経紙は、巾三糎を二十割に裁断するものから、六十割まであり、絲は
穴糸を用い、細くなる程細い絹糸を使用致します。織り方は経紙を一本おきに竹箆
ですくって糸を通して、特殊な織機を用い織上げます。平織・綾織・模様織等の技法
があり、非常に精緻な技術を要します。
従って製作日数も掛り、熟練者の方も稀少なものであります。
数多い諸手芸の中で、其の濫觴の古き事と、作品の絢爛・豪華なる出来ばえは、
日本工芸品の白眉かと存じます。